22-24/02/2026 沖縄における遺骨収容活動へのワルシャワ大学留学生・卒業生の参加
Category: 学生活動
第二次世界大戦終結81年目となった2026年になっても、日米の激戦地となった沖縄では、戦争の遺留品や戦没者の遺骨が、普通の住宅地の裏からでも簡単に発見されると言ったら驚かれるかもしれません。
平和記念公園内に置かれている平和の礎には、日本人、アメリカ人、韓国、台湾から召集された同国人、24万人余りの名前が刻まれています。第二次世界大戦の日本の軍人軍属・市民を併せた死者数は310万人余りですので、戦争末期、持久戦の舞台となった沖縄で如何に多くの死者が生まれたかは明らかです。
沖縄では、東南アジアや太平洋諸島地域での戦場と同じく、戦闘中に遺骨収容を行う余裕などありませんでしたので、戦後、多くの遺体が放置されたまま残されました。遺体を埋葬する試みは、残された県民によって自主的になされ、埋葬された場所に、魂魄の塔、ひめゆりの塔などが建てられたことが知られています。
戦後、政府も収容活動を行ってきました。1952年から1957年まで、主要な戦域から遺骨1万2000柱が収容され、政府事業は一度終了します。しかし、遺族会などによる独自の活動がつづき、旧戦域にまだ多くの遺骨が放置されていることが指摘され、1967年に事業が再開されました。2016年には「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」が成立し、戦没者の遺骨収集は国の責務と定められます。厚生労働省を主管として、現在も国が収容活動を行っています。
こうした事業による収集数はあわせて約34万柱とされ、このほかに旧陸海軍の復員や引揚時に約93万2000柱が送還されています。令和11年度までは活動の集中実施期間とされています。
民間団体による遺骨収容活動が活発に行われているのが沖縄での事業の特徴といえます。収容作業に参加する人員も、国とは関係のないボランティアです。中にはかなりの成果を上げている団体もあります。その筆頭に挙げられるのが、NPO法人・空援隊です。
武田知己大東文化大学教授は、近年、同大学の学生と共に、空援隊が主催するこの活動に積極的に参加してきました。2026年2月22-24日には、二六名の団体が組まれましたが、ワルシャワ大学でともに在外研究を行った矢嶋光名城大学法学部准教授が引率する名城大学の学生と、2025年7月のポーランドとの国際会議で知り合った中京大学、京都大学の学生、青山学院大学の大学院生、そしてワルシャワ大学アジア・アフリカ文化学部日本学科出身の留学生、卒業生が加わりました。
収容活動は、沖縄県糸満市のある場所で行われました。同所では、国も把握していない160メートルに及ぶ構築壕が発見されています。今回は、空援隊と協力して、そこに遺骨や遺留品が残されていないことを確認する最後の作業が行われました。
最後に、それまでの活動で、七体分の御遺骨が確認できた。収容されたそれらのご遺体を綺麗にし、写真を取り、戦没者遺骨収集情報センターに届け出るまで見届けることもできました。
今回、私たちの為にこの機会を設けてくださったNPO法人空援隊の倉田宇山さん、今回も現場で学生を指揮ご指導いただいた宮ゆふきさん、赤塚由香理さん、内田真一さん、松田拓海さんに、感謝申し上げます。





